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上写真:大正寺山門 



大正寺は寶松山と号し、浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属する寺院です。当山は今を去ること約750年前(文永年間)に祖門六老僧の随一源誓上人に創設され、宗祖親鸞聖人御真筆の無碍光如来の画像を安置した草庵が当所字宮の下にありました。

文安年間(1440年代)に本願寺中興の祖の第8世蓮如上人が当地を御巡錫した際、藤原氏の末裔であった当国城山(本郡福地村字新屋の南にあり)の城主の遠山伊豆守重正が蓮如上人に帰依し法名乗欽を賜りました。その後、草庵に入り、ここを念仏道場として水石山新念寺と称しました。文安3丙寅年(西暦1446年、約560年前)4月のことでした。

第三代住職正念の時、寺号を新福寺と改悟号する。

寛永4年(1627年)本堂と庫裏を焼失する。正保元年(1644年)に寺基を現在地へ移転。第五代住職正意の時、寛文8年(1668年)に寺号を大正寺と改めた。

十二代住職正観の時(文化・文政年間)に鐘楼と庭園を建立した。

初代より約560年、前身の草庵も含めれば約750年の歴史を誇る当山の現住職は第17代正尊です。





文永年間 源誓上人:字宮の下に草庵を開く(1200年代) 鎌倉時代/文永の役(元、高麗軍が北九州を襲う)。
文安3年 初代乗欽:水石山新念寺開山(1446年) 室町時代/天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は空位。
天正年間 第3代正念:新福寺と改号する。(1500年代後) 安土桃山時代。
天保元年 第4代西念:寺基を現在地へ移転。(1644年) 江戸時代/天保の改革。
寛文8年 第5代正意:寺号を大正寺に改める。(1668年) 江戸時代/江戸幕府将軍は徳川家綱。
寶暦7年 第10代正吟:寿明寺、光明寺、円立寺建立。(1758年) 江戸時代/桜町上皇崩御と前将軍徳川吉宗死去。
享和2年 第11代正因:磐台龍彫刻造。(1802年) 江戸時代/江戸幕府将軍は徳川家斉。
文化13年 第12代正観:鐘楼建立。(1816年) 江戸時代/間宮林蔵が樺太を探検。
文政11年 第12代正観:中庭築山。(1828年) 江戸時代。
昭和4年 第15代正導:本願寺命特派布教の為アメリカへ渡航。  



開基:遠山伊豆守乗欽重正
 
 


開 基 乗 欽 文安3年、水石山新念寺を開く。永正2年1月27日往生。享年71歳。
二 代 正 円 天正元年2月8日往生。
三 代 正 念 新福寺と改号する。元和2年4月17日往生。
四 代 西 念 正保元年寺基を寺基を現在地へ移転。承応3年1月22日往生。
五 代 正 意 寛文8年寶松山大正寺と改号。元禄8年11月6日往生。
六 代 正 沢 再住して第八代を務む。
七 代 正 貞 元禄10年2月8日往生。
八 代 正 沢 正徳4年中門再建。享保3年3月29日往生。享年74歳。
九 代 正 雲 享保4年現在の阿弥陀如来立像を安置。享保16年本堂再建。享保18年3月8日往生。
十 代 正 吟 寶暦7年寿明寺、光明寺、円立寺建立。寛政元年12月10日往生。
十一代 正 因 寛政12年須弥壇造。享和2年磐台龍彫刻造。文化元年7月5日往生。享年61歳。
十二代 正 観 文化13年鐘楼建立。文政11年中庭築山。文政13年9月5日往生。享年55歳。
十三代 正 海 嘉永2年11月7日往生。享年37歳。
  室 理秀尼 正海没後、多年にわたり法務を掌理する。明治10年12月28日往生。享年69歳。
十四代 正 教 元治元年3月親鸞聖人六百回大遠忌法要勤修。明治43年7月8日往生。73歳。
十五代 正 導 昭和4年本願寺命特派布教の為アメリカへ渡航。昭和37年10月3日往生。享年88歳。
十六代 正 欽 昭和32年梵鐘再鋳。昭和43年11月11日往生。享年67歳。
十七代 正 尊 現住職。
 
 
 
 
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浄土真宗本願寺派 寶松山 大正寺
山梨県富士吉田市新倉621 TEL.0555-22-1017

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