|
|
|
上写真:大正寺境内
|
|
|
|
|
|
|
|
|
大正寺本堂
寛永4年(1627年)本堂を焼失する。正保元年(1644年)に寺基を裏丸尾の現在地へ移し再建。
享保16年本堂修復。昭和49年4月本堂屋根替、
現在に至る。
10間四面、寄せ棟造。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
本尊阿弥陀如来立像
享保4年4月晦日木仏入仏。現在の本尊。(写真:右より2枚目)
堂内 ・内陣
寛政12年4月28日新田渡辺重郎右衛門須弥壇寄進。(写真:右より1枚目)
享和2年磐台龍彫刻波羅密作。(写真:左下)
享和3年8月内陣金柱造営。
文化年間余間襖(十二羅漢図)制作新調。(写真:上段左より2枚目) |
|
|
|
|
|
|
鐘楼
富士吉田市指定有形文化財 昭和41年11月1日指定 |
文化10年(1813)第12世住職正観が創建した。地上四はん回しで正面7、50メートル(約25尺)奥行7、10メートル(23尺)高さ9、50メートル(約31尺)である。基礎は新倉産の石で積み上げてあり、安定した豪壮な外観からしても綿密な設計と高度な技術により、当時、建築様式の粋を集めたものであり原形をよくとどめている。
正面より外側4段、内側6段の石段をのぼると、高さ1、91メートル(約6尺3寸)の中床にあがることができ厚い床板の下に「かめ」が上向きに埋めてあり、鐘の音響効果考えた工夫が施されている。表より見える窓は「木連格子」「撞木つり」と凝ったものであり、屋根にしても「千鳥形破風入母屋造懸魚付丸桟上端棟木銅葺仕上鬼瓦付」とむずかしい。中央部に「大正寺常付物釋正欽」の梵鐘が吊ってある。昭和17年11月太平洋戦争に供出し、今の梵鐘は昭和32年に再鋳したものである。また昭和42年中央高速道路建設にともない現在地にそのまま移した。 |
|
|
|
|
庭園
富士吉田市指定名勝 昭和44年3月4日指定
大正寺の第12代住職正観(しょうかん)の時代、文化年間(江戸時代後期、約190年前)に徳川将軍家の庭師石斉(せきさい)によって、富士溶岩の自然をそのまま土台として築いた庭園で、中国の廬山(ろざん)という所にある歴史に残る有名な庭である「虎溪の庭」(こけいのにわ)を手本として作ったものです。そのため大正寺庭園も別名「虎溪の庭」(こけいのにわ)とよばれています。
静かで奥深く壮大な眺めを現しており、当時のままの姿がよく残されています。この庭づくりにあたって優れた庭師であった石斉(せきさい)は、正装して床に腰かけ、鉄の扇をふって庭職人や作業員を指示したと語り伝えられています。 |
|
|
|
|
|
|
山門
江戸時代初期建立。
享保19年山門額調製。昭和49年4月山門屋根替。 |
|
|
|
|
|
|
|
中門
正徳4年中門再建。
昭和49年4月中門屋根替。 |
|
|
|
|
|
住職挨拶 | 大正寺の歴史 | 境内散策 | 大正寺の文化財 | Movie | パノラマムービー | 四季の風景 | 交通案内 |
|
|
浄土真宗本願寺派 寶松山 大正寺
山梨県富士吉田市新倉621 TEL.0555-22-1017
Copyright Daishoji all rights reserved. |
|
|